「最初は、親父の趣味の養蜂に興味を持って。調べると蜂って少なくなっていて、世界的な問題って知って、仕事にしました。ま、素人なんですけどね、だから面白い」
気温の上昇、干ばつ、洪水などさまざまな要因によって、世界全体で減少傾向にあるミツバチ。国連食糧農業機関(FAO)の発表によると、ミツバチやチョウといった受粉を助ける生物が減ると、世界で生産される75%以上の作物の生育に影響が出るいっぽう、花粉を媒介する生物が絶滅する速さは100~1000倍にもなっているといいます。
西都市でEC事業の傍ら、養蜂家としても活動する福島さんも、食糧危機に問題意識を持つひとり。趣味で蜂を育てていた父親の助言はあったそうですが、養蜂は未経験。それでも挑戦できたのは、将来性が見込め、かつ世界規模の問題にも貢献できる点に魅力を感じたからだといいます。
「アメリカだと10〜15年前ぐらいは500万群( “群”は蜂の巣箱の単位)ほどあったものが、5年ぐらいで半分程度に。その後も毎年30〜40%くらいのペースで減っています。蜂が減ると、花や植物の交配も減るので二酸化炭素が増えたり、農作物がとれなくなって食糧危機に陥る可能性もある。いろんな悪循環が生まれるんですよね。僕はまだ養蜂を始めたばかりですが、自分が仕事をすればするほど、世界の問題の手助けになると思えるのがやりがいです」
西都市発のはちみつブランドを
生まれは宮崎市佐土原。高校卒業後は製造業に就くため大阪に移り、その後は車の整備士を目指して危険物の資格を取得するなど、EC事業とは無縁で、それどころかパソコンも触れなかったという福島さん。直接的なきっかけとなったのは、東京のジュエリーメーカーの社長に店舗を手伝ってほしいとお願いされたこと。店頭での接客に慣れたのち、ECも担当することになりました。
「それから家の事情で福岡に引越すことになり、独立してECの会社を作ったんですが、脳梗塞で倒れて数ヶ月入院することになって。後遺症で半盲などが残ってしまい、宮崎の病院でリハビリすることになったんです。小さな会社なのでパートさんや妹の協力によって事業は継続できたのですが、当時は周囲や妻の支えがあってこそ乗り越えられたと思います」
福島さんのECでは食品を中心に幅広い商品を扱っていますが、主力はミツバチの蜜蝋から作る、ペットの肉球用のクリーム。会社を立ち上げる前、「人生に迷走していた」福島さんを見た父親が「蜂はいいぞ」とそっとアドバイスをくれたのだとか。最初はピンとこなくても、他者の助言をないがしろにせず、フットワーク軽くやってみるのが福島さんらしさ。クリームの作り方を調べ、自身で製造・販売まで行ったときの手応えが、養蜂家への道につながっていきました。4年ほど前に父親から引き継いだ蜂の箱は「分蜂」(※巣に新しい女王蜂が生まれた際、古い女王蜂が働き蜂を引き連れて新しい営巣場所へ移動すること)によって、現在は20箱ほどに。農家への販売や蜂蜜を使った商品開発を広げるべく、まずは100箱が目標だそう。そして、その先にこんなビジョンを見据えているといいます。
「西都原(古墳群)のはちみつブランドを作りたいんですよね。妻と子どもと一緒によく遊びに行くのですが、菜の花とかひまわりとかいろんな花が咲くので、蜜もいろんな種類が取れます。桜の時期は『桜蜜』とか、良さそうじゃないですか? 個人がいろんな種類を作るよりも、西都市が主体となったほうが、市外からのお客さんにも関心をもってもらえると思っていて」
自分に合った働き方が実現できるまち
午前中にはEC事業の仕事を少し。養蜂は時期により差はあるものの、現在は蜜の採取や給餌、投薬などの作業を週2程度行っているという福島さん。後遺症の影響で、人の多い都市部での勤務や運転が必要な仕事が難しい今、勤務時間が調整可能で、静かに仕事に向き合える環境が自分に合っている、と教えてくれました。
「それに、西都市は人もいいんですよね。うちの作業場の大家さんはちょっと特殊かもしれませんが、めちゃくちゃいろんな整備をしてくれるんです。台風の前には『ちょっとやっておくね』って倉庫を補強してくれたり、『ハチミツをやるならあそこには水道を通した方がいい』って提案してくれたり。普通、そんな親身になってくれないじゃないすか。僕にとっては、こういう人との繋がりが本当にいいなって。それと、ご飯が美味しいことですね(笑)」