宮崎県西都市穂北に一風変わった人々が集まるギャラリーがあります。その名も「未来未完成美術館 ニュージアム」。そんな場所に自然と引き寄せられたのが、同じく西都市穂北出身の美術家・フジサワさんです。ロジカルにアートや現象をとらえるなど、美術家としての貫禄すら感じるフジサワさんですが、活動を始めたのは意外にも20代の後半から。高校のころから音楽は好きで、もともとアートにも興味があったと言いますが、自身が美術家になるのはまた別の話。フジサワさんが制作をはじめたことには、穂北で一緒に少年時代を過ごした友人の「度量の広さ」があったと言います。
フジサワさんの小学生時代からの友人だという水元さん。高校卒業を機に、別々の県に進んだことをきっかけに関係が希薄になります。「こっち(西都)に戻るまでは連絡すら取ってなかったですね」とフジサワさんは当時を振り返ります。再び密に連絡を取り合うようになったのは、フジサワさんが西都市に戻って来てからのこと。このとき、フジサワさんはまだ美術家としては活動してませんでした。


美術家の道へ導いた西都市の度量の広さ
「フジサワから突然『遊ぼう』って連絡がきて」。水元さんは当時を思い出しながら語ります。そのとき、水元さんは、フジサワさんとの共通の知人である画家の友人と西都原で絵を描いていました。そのことをそのままフジサワさんに伝えたところ「行くわ!」と返信が。「絵を描いてるって伝えたら普通『終わったら連絡して』みたいになるかと思ってたんですけど。正直、『来て何するんやろ…?』って思ってました(笑)」。「『キャッチボールしようぜ』くらいの感じで遊ぼうって誘った」と軽い気持ちだったというフジサワさんですが、これがひとつ、フジサワさんの美術家人生の大きな転機になります。

軽やかに遊びに来たフジサワさんに対し水元さんは「見ているだけだと暇だろうから」と、絵具と紙をフジサワさんに貸します。このとき、フジサワさんは初めて“制作”の世界に足を踏み入れるのでした。「画家である2人とも、風景を見ながら抽象的なものを描いていたので、それを真似て適当に描きました。それが楽しくて」とフジサワさん。そのあと、居酒屋に行って飲みながらフジサワさんが描いた絵を友人2人に見せたところ、意外にもその絵を友人は褒めてくれました。フジサワさんは「こんなんでいいんだ!」と。ここでの成功体験がフジサワさんを美術家の道へと導くきっかけになります。「ある種フラットに見てくれた友人がいたのは大きいですね。受け入れる度量が広いので」と当時を振り返りながらフジサワさんは語ります。

引き上げてくれる仲間や先輩の存在
絵を描くことが趣味に代わり、いつしか美術家として制作するようになっていたフジサワさん。フジサワさんが西都原で初めて絵を描いたときに一緒にいた友人と3人で、まちなかのギャラリー「夢たまご(あいそめ広場)」で展示を行います。ここでフジサワさんは美術家として大きな壁にぶつかります。「君は絵に期待しすぎている。絵はそんなに万能じゃないよ」。そう絵画の先生から言われたフジサワさんは、意味すら理解できませんでした。しかし、それがきっかけで制作に対する苦しみがはじまります。そして、最終的には「何で絵ごときにこんなに苦しまなきゃいけないんだ」と活動を休止してしまいました。


そんなとき、救いの手を差し伸べてくれたのが、今でもお世話になっている未来未完成美術館ニュージアムの大野さんです。制作を辞めた後も大野さんと交流を続け、制作に対する悩みや想いを打ち明けてきました。そんなある日、大野さんから「そんなグダグダ言うんだったら、展示したら」と発破をかけられます。「僕自身が面白いかどうかは別として、大野さんが面白いと言ってくれている。じゃあそれを信じよう」と、フジサワさんは奮起します。結果、ニュージアムのこけら落とし個展という大役をフジサワさんが任されることになるのです。「今できる精一杯のことをやってみよう」、そう誓って再度フジサワさんは制作を再開。そこから今に至るまで、美術家としての活動を続けています。



全国を転々とする中で培った価値観
物事を俯瞰的にとらえ、丁寧に言語化するフジサワさん。その価値観は大学卒業後の就職先で全国を転々とした経験がもとになっています。「全国で転勤がある仕事でしたけど、『仕事しながら色んなところを見て回れるってお得じゃん』と思ってましたね」。島根や三重、そして長崎など転々とする中で、都市と地方の生活基準について考えるようになります。「都市には都市でしか見られないものもあるじゃないですか。この間友人と東京に遊びに行ったんですけど『生音のジャズバー行きたいね』ってなって。検索したら隣町とかにあるんですよ。これ、宮崎だったらなかなかないじゃないですか」。
そうは言いつつ、西都市での生活もまんざらでもなさそうに語ります。「(学生時代の当時)西都市ではマックは憧れでした(笑)。でも、中学校とかの頃は駄菓子屋さんに行った方が良かったんですよね。都市と地方、僕は優劣みたいなのは感じないですね」。今の西都市の生活すら俯瞰してみているフジサワさん。「実際今まで色んなまちに住んできて、僕自身がそのまちに溶け込んでいたかと聞かれるとそうではなくて。仮住まいみたいな感覚でした」。だからこそ、西都市に移住してきた人が「西都市のまちにどう溶け込むか」というのは興味があるといいます。

西都市に自身が溶け込む感覚
西都市で美術家活動を続けている理由として、ニュージアムがあるということは大きいとフジサワさんは話します「画家や美術家・アーティスト、デザイナーはもちろん、アーティストではなくとも絵が好きな人や音楽が好きな人、そんな一風変わった人々が集まるんです。西都市は正直画材を買える場所は少ないけど、ネットで買えるじゃないですか。でも人と話すってのは直接会って話す方がいい」。

そんな西都市で、フジサワさんはどんな存在になっていきたいのか、最後に聞いてみたところ「フジサワの作品見飽きたよ」と言われたいといいます。「それくらい西都市の人の生活に溶け込みたいんですよ。西都市のゾウさん公園(正式名称「御舟街区公園」)に赤いゾウの滑り台があって。よく考えたら赤いゾウって変じゃないですか。それには制作者がいるはずなのに、誰が作ったかわからず、よく考えたら変なのにいつの間にか風景になってるんですよね」。2026年6月、フジサワさんを美術家の道へ導いてくれた友人の画家2人との展示を予定しており、これからもフジサワさんの制作は続きます。フジサワさんが制作し、西都市に残っていく作品も、誰かに意味と役割が与えられ、いつしか西都市の風景に溶け込み、知らず知らずのうちに皆さんの生活を見守る存在になっているかもしれません。



【取材協力】
・未来未完成美術館 ニュージアム
・画家 水元栄壱 さん
2026年6月展示会場:アトリエ根々


