2020年6月。目の病気がきっかけで「自分がやりたいことをやっていこう」と、西都市で新たなスタートを切った織田さん。実は西都に来て、新米農家として歩み始めたばかりのときに一度取材をさせていただいています。「僕は恩送りをしたいんです」と、前回の取材時と変わらぬ想いを語る織田さん。この4年間で変わったこと、そして変わらず持ち続けていることは何なのでしょうか。
移住前、料理人としていい役職で働いていたという織田さん。そのキャリアを捨てて西都へ移住しました。就農直後は「40代でも若手です。1回リセットしてスタートする、この感覚が楽しいです」と語っていました。しかし、今では従業員は10名をかかえる程の農家に。さらには資材が高騰する中、2025年6月には新しくビニールハウスを建てるなど、農家として成長し続けています。「今もまだまだですね。純粋に自分が登りつめたい場所があるうちは。プライドはないんです」。

リスペクトできる親友との出会い
「僕、よく批判されるんですよ」と、語る織田さん。「ピーマンの反収(※畑1反(=10a)当たりの収量)は、一般的な農家は12トンとかなんですけど、僕は『(目標で)16トンとか17トン取ります』とか言っちゃうの。すると『やってもないのに大きな事言うんじゃねぇ』って」。しかし織田さんにとってはそれすらパワーになります。周りの想像を超え、いい意味で期待を裏切るゾクゾク感が好きで、結果その年の反収は18トンと目標を達成。「日本って生きづらいじゃないですか。そんな中で自分が大きな夢を掲げて達成していくことで、みんなが夢を語れる土壌をつくりたい」と、織田さんは西都市の未来を見据えます。そんな織田さんの姿勢に引き寄せられるかのように、運命の出会いが訪れます。



新しくビニールハウスを建てることになり、あいさつ回りである農家さんを訪ねたときのことです。「その人は西都で1番目か2番目に収量をあげている人。そんな人相手に、初めてあいさつして3時間で『家に行っていいですか?』って聞いていました」。さらに1週間後、一緒に飲んだときには「僕はあなたを超えたいんです」と伝えたと言います。まだまだ収量に差があった当時、一見すると失礼にも映りかねない会話。しかし、織田さんの本気が伝わったのか、そこからさらに意気投合。今となっては農業のこともお互いに遠慮せず言い合え、またプライベートではピーマン閑散期の夏休みの3分の1を一緒に過ごすなど、かなり深い関係になっています。「(ピーマンの反収において)今はその親友の尻尾が見えはじめてきたんです。しかもそれを、その友人もわかってる。それがお互い刺激ですよね」。


西都市に来てから、人生のピークを更新し続けているという織田さん。「移住当時、1番幸せのピークでした。でも49歳の今がそれ以上にピークですよ。幸せのグラフがあったら毎年上がってます」。
だからこそ仕事も遊びも、全力で
移住前、会社でキャリアを積んでいた織田さん。当時は、仕事とプライベートの割合が9:1だったと言います。「仕事で成功するために、プライベートは休む。そんな生活でした。でもこれ全然楽しくないですよ、人生」。一方で今は、仕事も遊びも全力で楽しむこと。これが今の人生のテーマになっています。「小さいころは、野球選手になりたいとかサッカー選手になりたいとか、難しいとわかっているのに平気で口にするじゃないですか。でも大人になっていろいろ見えてくるにつれ『できないんじゃないか』という考えが出てくる」。そこを織田さんは「じゃあどうすればできるか?」と、実現させる方法を考えるようにしています。



仕事もプライベートも全力で走ってきた織田さんは、自身の夢を絵に描いたような家を建てます。立派な中庭は、大人が本気でふざけられる場にしたい。そんな思いから、Holic Gardenと命名。年末には昼間から夜にかけて、ピザを焼くパーティを開催しました。「誰が来てもいいんです。1年間お世話になった人に恩返し、みたいなテーマで」。ここにも織田さんの“恩送り”の精神が宿ります。
農業を子どもが夢見る職業に
「4,50代のおっさんでも、楽しく生きてる姿を子どもたちに見て欲しい」。日本では収入やお金のことを口にすることはどこかはばかられる文化があります。一方、新規就農者の講演に登壇すると、結局最後はお金の質問に。しかし、聞いている人が一番食い入るように耳を傾けます。「みんな結局お金のこと気になるんですよ。僕はそれに全部答えます。『年収いくらです』『貯金いくらです』みたいに」。農業は「キツい」とか「汚い」とか言われがちですが、子ども達に農家は稼げるということを伝えて、農業に夢を持ってほしい。「だから僕は、『ジャイアンツで3年間結果出した選手くらいの年収です』とか『僕、億のスタープレーヤーになりました』と、そういう風に表現をしたいと思ってるんですよ。そしたら子どもたちが農家に対して夢を見られるじゃないですか」。


移住当時にも話していた「やりたいことリスト」ですが、その後どうなったのでしょうか?「九州1周旅行もできたし、家も建てたし、ウッドデッキを作ってハンモックで寝たりとか。当時のものでまだできていないのは、『有吉の夏休み』みたいに、仲間とハワイに行く!ですかね」。遊びを全力で楽しむために、仕事“も”全力で取り組む。世間でよく言う「ワークライフバランス」とはちょっと違った、新しい生き方を西都ではじめ、そして続けている織田さん。これからも、少年漫画の主人公のような軽やかさで、あっと驚くことを実現し続けるのでしょう。


